塾を開く予定はなかったのですが、目の前の生徒が不幸になることが耐えられなかったですし、それ以上に自分ができることを最大限しようと思って、自分では思いもしなかった自塾を立ち上げる行動をしました。それを思ったのは11月3日、そして翌日には現在の教室の物件を下見していました。そしてそこから1日でも生徒を早くサポートしたいということで思いついてから1か月で塾を完成しました。今考えても自分の行動力ってすごいと思いますし、それ以上に人間って本気でやればいろんなことができると実感しました。
そもそも塾の先生になろうとは小さなころは全く考えていなかったです。高校時代には建築士、大学時代には証券会社で働こうと思っていたのですが、大学3年生の時に大切にしていた家庭教師先の生徒の成績があげれなくてクビになり、そんな自分の弱さが許せなかったので、当時業界で一番厳しいと言われた大手学習塾に入社しました。ある意味あの時の生徒がいなかったら今の自分はいないと思います。
恥ずかしながら自分も夢は子供の時にはなかったのですが、このように人とふれあっていくといろんなことが見えてくるのではないかと思います。
ぶっちゃけ自分で頭がいいと思ったことは一度もありません。もっと頭のいい人をいっぱい見ています。でもたぶん誰よりも本気で、何度も勉強しているという強さがあると思います。英語も洋楽を聞いて歌詞をひたすら暗記したことを覚えていますし、英語のスピーチも完全に暗記するまで何度も練習していました。その意味で努力しているからだと思います。現時点でも学習は常日頃やっていますので、その結果だと思います。
もちろんありました、理科が中学と高校で大嫌いでした。ただ今は大好きです。文系ですが理科は理路整然と、わかりやすく学習できるのと、論理だてれば誰でも答えは完全に一つになる魅力を感じます。
中学時代の理科の先生が本当に相性が合わなかったこと、特にその先生の授業で「生徒にわからせたい」という魅力を感じなかったのが拍車をかけたと思います。その意味で自分が生徒に指導をし、その生徒が勉強を好きになってくれたらうれしいです。
昔は本当に嫌いで、この塾の生徒の誰よりも嫌いだった自信があります。遊びたい、ゲームしたいという一心が非常に強かったので、皆さんはたぶん意外に感じると思います。今は大好きです、一番好きな理由は計画立ててうまく成功する、戦略が成功することがうれしいです。勉強の中身もそうですが、うまく戦略をたてて結果が出た時のうれしさは何よりも気持ちいいと思っています。
簡単に言えば「ブラック企業」に入っていたからです。現在多くの学習塾はいわゆるブラック経営をしています。私が過去に辞めた会社は①朝6時から朝3時の勤務(21時間)を強いられた、②給与が一生変わらない、③社員の命より経営を大事にする、④生徒のことを無視して売り上げだけを目的にする、⑤生徒への体罰を是とする、などがあります。会社に入ってある程度の地位にならないとわからないことですが、それが自分にとっても許せないことであり、そのタイミングで引き抜かれたという感じです。
転職が多い人間だからこそ、一人でも多くの生徒が生活に悩まず、豊かな生活ができるようになってほしい、その思いは保護者の方もしくはそれ以上に思っております。
結婚はしていません、したこともありません。もてないということもありますが、それ以上に⑥につながる話、ブラック企業に勤めているとプライベートの時間はほぼないため、結婚する以前にお付き合いだったり相手を探す時間がなかったです。例えば30歳ぐらいの時はひどい時は朝7時半に家を出て、深夜1時に退社するという生活を繰り返しており、年間の休日も50日を切っていました。⑥にもあるように、生徒にもそうなってもらいたくないため今頑張って将来幸せになってもらいたいです。
ちなみに現状少なくても3年間はする予定がありません、それはこの塾を成功させる、円滑に起動させるために3年は努力し、その後安定した生活ができるようにと考えているためです。
今まで住んだことがあるのは以下の通りです。
・大阪府三島郡島本町(18年)
・三重県津市(累計7年)
・静岡県藤枝市(2年)
・北海道札幌市(2年)
・北海道旭川市(1年)
・愛知県江南市(1年)
・三重県四日市市(4年)
・三重県松阪市(5年)
行ったことのある国や町は以下の通りです。
・オーストラリアのタスマニア(1か月のホームステイ)
・韓国のソウル、プサン、北朝鮮との国境線である板門店(韓国1週間旅行)
・中国の四川省成都(1か月の大学語学ツアー)
・沖縄(修学旅行)
・広島、岡山、神戸、香川、東京、横浜、天橋立、知床、釧路、函館(1人旅)
趣味の一つが旅なので、面白いところがあればぜひ紹介してください。
大学での専門が語学系でもあったので、
・英語→アメリカの大学院に行けるレベル(当時)
・中国語→論文は書けるが、会話は完全にカタコト
・韓国語→ほんのちょっとだけできます、大学時代ハングル検定3級取得
ちなみに大学時代、大学の研究のために簡単に勉強したことあるのが、
・ドイツ語
・フランス語
・ロシア語
・エスペラント語
です。文法構造の理解はすごく面白いので大好きな内容です。
意外かもしれませんが、小説は全然読みません。1年に1度読むか読まないかです。ただ大学時代は歴史の本などは1日1冊ペースで読んでいました。
漫画は大好きです。大学時代は下宿に1500冊はおいていました。最近だと「僕のヒーローアカデミア」「鬼滅の刃」が大好きです。自宅には「ゴルゴ13」「クッキングパパ」「美味しんぼ」を置いています。
私が漫画に良い影響を受けたことは計り知れないです。たとえば幼稚園の時には「北斗の拳」を読んでいたので、そこで漢字の読み方を覚えていました。例えば『岩山両斬波(がんざんりょうざんぱ)』など、今考えたらすごかったと思います。また自宅にあった世界の漫画のおかげでおそらく普通の高校1年生の世界史の知識より物知りだったと思います。
なので私自身は漫画を非常に肯定的に考える人間です。
特にお勧めできる、自分の人生を最も変えたのは間違いなく「銀河英雄伝説」です。近年リメイクされていますが、あのアニメをみて自分は頭がよくなったと断言できます。戦略、歴史観、哲学など深く影響を与えられました。大学時代の友人が当時23万もするDVD-BOXを買っていたのを覚えています。
近年論理的展開がしっかりした漫画が多いですが、その草分け的存在だと思います。非常におすすめなのですが、本伝で110話、外伝で52話ありますので、時間がある時に見ることをお勧めします。
他人と比べて特にすごいものがあるとは言えませんが、ビリヤードが好きだったり、格闘ゲームが好きだったり、水泳が好きだったりします。あえて言うなら暗記が得意です、特に数字の暗記が得意で、塾生の誕生日はほぼ頭に入っています。
かなり好きです。学生時代はどっぷりとやっていましたが、最近でもスマホのゲームなどをしています。ただ最近は学習時の息抜きや集中力強化も兼ねてやることが多いです。特に学生時代はゲームセンターの格闘ゲームが好きでした。あえてお勧めするゲームを言うならば「FF-X]ですね、ゲームも面白いですが、ストーリーが非常にいいです。普通の映画より作りが良く、最後は泣けました。
好きな食べ物はたぶんラーメンと丸亀製麺のうどんです。毎週必ず食べに行きます。ラーメンは休日や空いている時間によくいろいろな店に食べに行ってます。
逆に嫌いな食べ物、食べられないのがチーズを中心とした乳製品です。消化酵素がないため食べれません、口に間違って含んでしまうと反動で動けなくなってしまいます。なのでフランスなどヨーロッパに行けないですし、皆さんからお土産をいただいても食べれませんので申し訳ありません。
できるだけ簡単に言うと「中国語がどのようにして外国語の文法を取り入れたか」という研究です。中国がヨーロッパの国々に侵攻されているとき、西洋文化や軍事力を吸収するだけではなく、文法も取り入れていった時期があります。もともと中国語と英語などのヨーロッパ言語は文法上きわめて似ており、だれがどのように吸収していったか、またそれは意図的であったのか、使用されなかった文法はなぜそうなったのかなどを研究していました。
小学校の頃は親に厳しく指導されていたので最低1時間はさせられていたのを覚えています。さぼったときは罰として小学1年生でも夜8時に外で縄跳び100回を寝間着でさせられたのを覚えています。
中学校になってからは家ではひたすらゲームをしたいということで、逆に学校の授業中に集中してすべて暗記して、宿題も学校で終わらせ、家では遊んでいました。
高校では全く勉強しなくなって1・2年の時はクラス40人中39位とかでした。
逆に大学では英語の討論にはまってしまい、英語のスピーチの作成、資料を探して読む、資料を英語に翻訳するなど1日12時間以上学習していました。
今思えばはまる勉強があれば人間変わると思います、高校時代は勉強ではなくエレキギターにはまり、平日でも1日4時間亜h最低音楽にかかわることをしていました。
ダウンタウンファンです、26年間ぐらい、「ごっつええ感じ」からずっと好きです。特にまっちゃんの話力にはいつも感動し、高校時代はHEY!×3は録画し、最低3回は見て、どのようなにしゃべっているかなどすごく勉強しました。
一番感動したのは四日市の教室から松阪へ移動する2017年4月27日です。人生で一番かわいがっていた生徒が転勤を聞いて1か月ほどショックを受けて泣いていたのですが、その生徒が最終日は我慢し、そして抱えきれないほどの大きな花束をもって最後に自分を送り出してくれたことは一生忘れません。恥ずかしい話ですが、人生で一番泣きました、そして一番うれしかった日です。
つらかったことは多くありましたが、精神的に一番つらかったのは学生時代の家庭教師先からのクビでした。自分自身の弱さ、未熟さから生徒を幸せにできなかったということで非常に悔しかったです。最後に3月30日に会おうということで、その時に大学見学をしてあげたりといろいろやったことを覚えています。そしてその翌日の31日、ぎりぎり大学3年のときにのちに勤める会社から内定が出た時、「絶対このようなつらい思いはしたくない!」と心に決めて、今に至ります。ちなみにその時の思いから就職してから買った車のナンバーは330でした、常に自分に甘さを許すな、その気持ちからどんな時でも意識するようにナンバーに記載し、自分への十字架として15年間戒めていました。
ちなみに昨年新しく車を買い替えたのですが、その時のナンバーは427です。つまり、あの時の生徒の送り出しのように、頑張っていれば幸せが待っているんだから頑張ろうという気持ちで付けました。その意味で今は十字架からは解放され、より生徒を幸せにしたいという前向きな気持ちへ変化しています。